少々告知も遅れてしまいましたが、ちょっと変わってちょっとユニーク、そしてちょっとパンキッシュなアーティスト、
『大槻あかねさん』の空気カフェ その2(at 横浜Charan Paulin)が行われています。
大槻あかねさんのインスタレーションとしての実カフェは、4/20、4/27両日のみ(ご予約sold out)で、濃い目の珈琲豆をKUSA.からも提供しております。
ご参加のお客様は、是非、あかねさんのあかねさんならではのサーブの仕方をお楽しみ下さい。
インスタレーションカフェデー以外も、その空気感漂う作品の様子が、5/10まで
「チャランポランさん」の素敵な店内で展示されているようなので、是非是非足を運んでみて下さいね。
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女性アーティスト繋がりで。
昨年のベルリン系テクノのアルバムの中で最もラディカルに感じられたのは、Kyoka「IS(Is superpowered)」で、クリックとノイズ、強迫的なベース、と書くともう既にベタな感すらあるけれど、彼女はそれらの音圧の周りを絶妙なさじ加減のポップさでくるみ、その奥底に狂気さを仕込んでいる、その辺りがぐっとくる。
女性ミュージシャンならではのポピュラーさとアンダーグラウンドのバランス感覚。
戸川純、浅川マキ、ロリータ順子の系譜?
この海の中では、ただ真っ当なだけではいられないもんね。
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大森靖子のライブ、当然のように即ソールドアウト。
彼女は、
「死んだら負け以外の
哲学とか
生きるのに必要すかね」と
問うけど、それに答えるとしたら、「全く、全然、必要なし」としか言いようがなし。正論。
でも。
でも、
もし人生を一本の線ではなく、多重的な層の連なりとして捉えるならば、脳の回路、細胞の分子回路をちょっと切り替えてみるだけで、新たなフェイズに立ち会えるかもしれない。
複雑な電子工学を駆使して作られた特殊なシミュレーションゲームのようにね。
『
カフカやヘルダーリンやアルトーの本を読んで、彼らの考えていることが完全に「わかって」しまったら、われわれはおそらく正気では居られない。書店や図書館という一見平穏な場が、まさに下手に読めてしまったら発狂してしまうようなものどもがみっしりと詰まった、殆ど火薬庫か弾薬庫のような恐ろしい場所だと感じるような、そうした感性を鍛えなくてはならない。ニーチェの「私は一個のダイナマイトだ」という科白を、何か大げさで恰好をつけた冗談か何かのようなものとして聞き流す甘えた態度に、われわれはどうにも慣れすぎてしまったのだ
』
(佐々木中)
ある風景を別の次元のフェイズに変えてしまえるかもしれない仕掛けが哲学には潜んでいる。