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凄まじい。
地点 『光のない。』 再演。
今年はまだ京都で残っている。
目撃しておいた方がいい。
東日本大震災、フクシマの巨大なトラウマを、鎮魂歌のように難解かつ祈りにも似たテキストに落とし込んだオーストリアのエルフリーデ・イェリネクに対し、日本のカンパニーが凄まじい圧で以って返答した意義は、我々日本人にとって凄まじく大きいのだから。
「日本人は、本当に演劇を見たことがあるのか?プロセニアムの劇場で、歌でもなく踊りでもなく『まともに』演劇を見たことがあるのか?」
そんな投げかけから三浦基氏は、高度に難解なノーベル賞作家の一語一語を微妙に解体し、圧倒的な圧力と静寂さで舞台上に言葉をプレスしていく。
そこにはもう物語などない。
あるのは、今や甘ったるいポップソングのように成り下がったヒップホップよりも挑発的なライムであり、オシャレなだけのパンクスよりも狂気に満ちた叫び、形式だけの賛美歌より研ぎ澄まされた静なる祈り、のような台詞たち。
「神の下においては、
自然にも罪がある。
私はそれを否定できない。」
凄まじく、私達は生き残っている。
生き残った私達は、死者達から歌を借りた。私達の生が終わるまでの束の間。
そして脆弱な私は、ささやかな持ち場でしか、歌を支えられない。
だから私は珈琲で楽譜を創る。
あなたは?