原色の朝、一杯の熱い、フルーツのような珈琲を飲む。
そのために、必要な言葉たちの徒然。

08.31.
猛烈な残暑で、庭も日照り気味。
朝に水をやっても、昼には土が乾ききって
植物たちも萎れ切ってるけど、
咲いたね、一つだけ強靭な薔薇が。
人間にも、何十人に一人位の割合でいる、
人生を叩き上げで上ってく人。
そういう人と一緒だ。
BARA.jpg


素朴なKUSA.の庭の中、
この花だけ毎朝、花びらの色彩を変えていく。
すごく、幻想的。かつ幻惑的。
日々のこと - -
08.30.
暑さも少し和らぎ、食欲やや回復したので、
「富久屋」の葛ばっかまとめ買いして食べてる。
果実の喉越し感がエンドレスサマーっぽくて、
好き。ま、若いときは、買わなかったけどね。
プッチンプリンばっかで。
大好物なんで。今でも。



8月30日。こんな、何っでもない月曜日。
でも、きちんと、意味はあるな、きっと。
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08.28.
YAKEI.jpg

サーフィン帰りのお客さんが多し。

マリンスポーツやらないんで、今の時期の

波の具合がいかほどのもんなのか分かりか

ねるが、きっと気持ちいいんだろうな〜と

いう事くらいは分かる。

ちょっとほとぼり冷めたコバルトブルーの海、

まばらな海水浴客の歓声の中、ふいに秋風め

いた海風。

それってまるで「ビックウェンズデー」、

センチメンタルサマーだ。

こんな晩夏の夕刻時は、ノーザンソウルか山達?

んー、って夏はまぼろし、

やっぱfrictionで以って初秋にイン

ってことで。いや、何となく。

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08.25.
路地という路地が街から消える。東京はもちろん、ここ一宮町も、地元の市川でも、本物の路地や商店街はどんどん無くなっていく。私は、常々こう睨んでいる。私達はひょっとしてこういう形で以って、負け戦さの復讐を果たそうとしているのではないかと。遺伝子レベルで。そうそう、今週28日(土)、平塚市のantique shop「menu」さんにて、kibi cafeさんの一日cafeです!kurosawaの、革のワークショップも。レザーのミニバッグ、とても美しいです。夏の終わり、ひと夏の喧騒をクールダウンさせるのに、ピッタリの一日ではないでしょうか。
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08.24.
雲ひとつない晴天とは、
まさに今日みたいな日。
朝早く焙煎して、
そっと空を見上げる。
時折、秋の風。

毎朝毎朝、焙煎やパンを焼き、
それから喫茶営業、閉店後は、
ケーキ作り。
店の清掃と通販の事務。

こういう日々の仕事って、何のために
やってるのか?
やっぱり第一は、生活のためだ。
それから、自分達の喜びのためでもある。
でも、もっともっと根源的には、
最終的には、社会のためだ。
私は、「働く」ということは、それが
どんな小さな仕事であったとしても、
切り詰めれば、社会貢献、この世に
生を受けたことに対する、世界へ
恩を返すための営みだと考える。









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08.23.
何だか、しゃきっとしない。。

どう見ても夏バテだ。

疲れた時には、黄色い色彩が心に栄養を与えるよ、と

誰かから聞いたのを思い出して、庭に少しだけ黄色い

花を買ってきて飾ってみた。

あと、勝手に芽生えてきた、何とかという黄色い花も。


HANA.jpg




どちらも名前忘れてしまったが、嬉しい。






明日は、ストロングローストの焙煎・販売の日。

夏の終わりに、ダークな珈琲で決めたい方は、

是非どうぞ。


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08.22.
房総、真夏の熱風、少し和らぐ。
猛暑にノックアウト寸前、だっただけに、
ホッとするが、学生の頃だったら今時分は、
夏期休暇の終わりの気配を察して、
モラトリアムブルーだったね、きっと。

今日は、昔からの懐かしいお客さん達。
そういう人達には、友人に語りかけるように、
「やあ、元気にしてる?」って声をかけたくなる。


関係ないが、ふと思う。
人間の最も偉大な行為の一つは、
誰かをゆるすということだ。



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08.21.
久し振りに、新豆のテスト焙煎で失敗す。

200度以上に上がる釜で、何回か余計に

焙煎するのは、夏場にはさすがにしんどい。




でも、炎天下の中、店に足を運んで下さる方は、

皆それぞれ涼しげに寛いでいる。

晩夏の気配を感じる。






それはそうと、お客さんが実は自分の母校の

後輩だったってのは、何ともこそばゆい様な

嬉しい気持ち。
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08.18.
夏ともなれば、旅したくなる。
若ければ尚更のことだ。

深夜3時に、どこの町にでも一軒はある
アメリカンダイナー
みたいな深夜営業の店に集合し、その後は、替わりばんこで
運転、煽られたり小ぜり合いがあったり、若い女の子の車に
羨望の眼差し送ったり、モノクロームセット流したりしながら、
適当な所に辿り付く。
場所はどこだっていい。
10代20代の頃なんて、気の合う奴と一緒にいれば、
どんな所だって楽しめるんだから。

でも、私には空気の感じが忘れられない土地が二つだけある。
奈良の天川村と、東京の檜原村。
霊感とかもちろん全くない訳だが、
降り立った途端、場所の磁場が違ってるように感じられ、何より空気の透明感とか密度が違う。特に朝。
「空気を食べてる感じ。」

私の中では、大人になってどんなきれいな景色だとか、自然が残されてると言われてる場所だとかに行っても、あの空気とは物理的に違うんだよなーって思ってしまう。
ひょっとして若い感性のせいだったのか、
今になって無性に確かめてみたくなる。

しかし、つい最近知ったのだが、檜原村に流れる渓谷の
起源はなんと2億年前らしい。
さもありなん、と思ったよ。
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08.17.
子供時代は、飛ビッ子と呼ばれ、水中での鬼ごっこで
負け知らずだったはずの私も、久方ぶりに子供抜きの
長生郡プール25mトラックでは、既に20往復でへたばり始め、
30往復で腕がパンパン、40往復を超えたところで身の
危険さえ感じる(苦笑)。。
最低3kmと考えてたので、後はひたすらウォーキング
コースでおじちゃまおばちゃま達と歩んでおりました。。
これが、老いるという段階の小さなフェイズなのですね。

しかし、歳を重ねると言うのは、滋味深い喜びも増えると言えば
増えるが、でもやっぱり若い頃のはちきれんばかりの夏の
思い出には勝てねーーー、

とばかりも言ってられないので、そんなときは、時々
微妙ではあるけれど、時々確かな事を言う、猪瀬直樹氏のまだ
20世紀のときの文章を。

「それから、おもむろに新聞の求人欄を広げてみる。
順調とは限らないが、様々な暮らしが賑やかに自己主張
している。

急行列車の車窓から眺めて、いつか途中下車して立ち寄って
みたかったあの風景、この風景、そんなものと似ている。

そして、新聞を置いてから眼を閉じるのだ。
不確かな自分、というのも、そんなに居心地が悪いものでは
ない、とわかるだろう。

若い人の切羽詰まった野放図な自由とは異なる、別のゆるやかな
自由を手にすることができたかもしれない。」


まあ、このご時世、新聞の求人欄ではシケた気持ちにしかならないかもしれないが、
いずれにしろ、その年代その年齢なりの「イマジナリー」を獲得することは可能かもしれない。
いや、間違いなく可能である。
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