KUSA. 喫茶、冬、枯れ.
2007.12.30 Sunday 23:55
房総地方、曇りときどき雨。
KUSA.喫茶、明日で3度目の
大晦日。
一年目はただ無我夢中に、二年目は様々な問題を抱えながら
右往左往し、そして、三年目。
私達には、珈琲焙煎、パン焼きという職人仕事と、
カフェ営業という二つの仕事がある。
意外とこの二つの仕事の並行が難しいものだ、ということを
実感させられた一年だった。
確かに、自家焙煎のグループを見回してみても、
焙煎とカフェを一人か二人で回している店は、全国的にも
そうは多くない。
焙煎に関しては、試行錯誤の1年でした。
素晴らしい酸味と香味を兼ね備えるエチオピアの生豆。
でも、小粒で固く、キャラクターを表現するのは難儀で、
日々、排気、火力との格闘でした。
スパイシーなケニア。変わった形状の豆で、火の通りが悪く、
弱火で、その日の気候に合わせて、蒸らしを変えていく。
香水のような香りのインドネシア・リントンマンデリン。
こちらは逆に火が通りやすく、排気調節とガス圧一目盛りの
判断ミスで、ぶれる。
どれも、何度も焼き直した。
自分の目指している、体に良く、そして、産地のテノワールを
感じられる、KUSA.だけの独特の珈琲のために。
朝11時からは、接客業の仕事。
お客さんとの会話は基本的には楽しいし、年齢も仕事も
様々な人の話を聞けるのは有意義だ。
ただ、接客は、セッションのようなもの。
プロのジャズマンがいつもいつも楽しく演奏してるわけでなく
時に、しんどく、格闘し、ぶつかり、その結果最高の作品が
産み出されるのと、接客も同じ。
うまくセッションできないときもあれば、仕事とは言え、
どうしても疲れていたり、つらい日もあったりで、
失礼もあったかと思う。逆に悲しい態度を取られる時もある。
でも、珈琲一杯分のそんな数々のセッションを経ていくうち、
自分の細胞一つ一つにわずかなわずかな変化が起こり、
今現在の自分、店が出来上がっていった。
会話の内容や、話をするしないは関係ない、
店にいる人との波動の交感みたいなもの。
いずれにしろ、KUSA.を訪れ、やや低めの椅子に座り、
カップを手に取ってくれた全ての方々、色んな意味をこめて
少なくてもこの店内にいる限りこの人達を守り抜く、という
気概くらいは最低限、持っているつもり。
明日の晩になったら、店の掃除を終えたら、つかの間、
仕事を忘れ、小さな食卓で、お椀一杯の蕎麦を食べよう。
それから、家族3人、少し余った珈琲を一杯ずつ飲みつつ、
この夜の闇の深さを全身で感じてみよう。
除夜の鐘を聞きながら、
今年起こった悲しみと幸せを祈ろう。
そして、そして、村が寝静まった頃には、最後にやっぱり
お客さんのことを想い浮かべてしまうことだろう。
一人一人、もう何十人もの顔を思い浮かべることができる。
かけがえのない、大好きな人達。
言葉など、もうない気持ち。
明日、大晦日は、今年最後の営業日。
「KUSA.Blogの応援clickです.」
PS. BRIAN JONES 「The pipes of PAN at Jajouka」
(民族音楽フィールド録音の傑作)を中音で聞きつつ。
KUSA.喫茶、明日で3度目の
大晦日。
一年目はただ無我夢中に、二年目は様々な問題を抱えながら
右往左往し、そして、三年目。
私達には、珈琲焙煎、パン焼きという職人仕事と、
カフェ営業という二つの仕事がある。
意外とこの二つの仕事の並行が難しいものだ、ということを
実感させられた一年だった。
確かに、自家焙煎のグループを見回してみても、
焙煎とカフェを一人か二人で回している店は、全国的にも
そうは多くない。
焙煎に関しては、試行錯誤の1年でした。
素晴らしい酸味と香味を兼ね備えるエチオピアの生豆。
でも、小粒で固く、キャラクターを表現するのは難儀で、
日々、排気、火力との格闘でした。
スパイシーなケニア。変わった形状の豆で、火の通りが悪く、
弱火で、その日の気候に合わせて、蒸らしを変えていく。
香水のような香りのインドネシア・リントンマンデリン。
こちらは逆に火が通りやすく、排気調節とガス圧一目盛りの
判断ミスで、ぶれる。
どれも、何度も焼き直した。
自分の目指している、体に良く、そして、産地のテノワールを
感じられる、KUSA.だけの独特の珈琲のために。
朝11時からは、接客業の仕事。
お客さんとの会話は基本的には楽しいし、年齢も仕事も
様々な人の話を聞けるのは有意義だ。
ただ、接客は、セッションのようなもの。
プロのジャズマンがいつもいつも楽しく演奏してるわけでなく
時に、しんどく、格闘し、ぶつかり、その結果最高の作品が
産み出されるのと、接客も同じ。
うまくセッションできないときもあれば、仕事とは言え、
どうしても疲れていたり、つらい日もあったりで、
失礼もあったかと思う。逆に悲しい態度を取られる時もある。
でも、珈琲一杯分のそんな数々のセッションを経ていくうち、
自分の細胞一つ一つにわずかなわずかな変化が起こり、
今現在の自分、店が出来上がっていった。
会話の内容や、話をするしないは関係ない、
店にいる人との波動の交感みたいなもの。
いずれにしろ、KUSA.を訪れ、やや低めの椅子に座り、
カップを手に取ってくれた全ての方々、色んな意味をこめて
少なくてもこの店内にいる限りこの人達を守り抜く、という
気概くらいは最低限、持っているつもり。
明日の晩になったら、店の掃除を終えたら、つかの間、
仕事を忘れ、小さな食卓で、お椀一杯の蕎麦を食べよう。
それから、家族3人、少し余った珈琲を一杯ずつ飲みつつ、
この夜の闇の深さを全身で感じてみよう。
除夜の鐘を聞きながら、
今年起こった悲しみと幸せを祈ろう。
そして、そして、村が寝静まった頃には、最後にやっぱり
お客さんのことを想い浮かべてしまうことだろう。
一人一人、もう何十人もの顔を思い浮かべることができる。
かけがえのない、大好きな人達。
言葉など、もうない気持ち。
明日、大晦日は、今年最後の営業日。
「KUSA.Blogの応援clickです.」
PS. BRIAN JONES 「The pipes of PAN at Jajouka」
(民族音楽フィールド録音の傑作)を中音で聞きつつ。